野比のび太天才説再論
5. つづき
みなさん、こんにちわ。klis48のいけぴ将軍です。
これは、第二のklis Advent Calendar 2020 の12月25日(金)の記事です。
メリークリスマス
あとこれは、「野比のび太天才説」のつづきです。この記事を読む前に、前半の「野比のび太天才説」を読んでいただくと良いかも知れません。
6. 登場人物再紹介
パターン(CV:花江夏樹)
klisの授業中に黒板の上に突如爆誕したカフェオレの妖精。
インスタのフォロワー数が1000万を超えているという真っ赤なウソをプロフィールに書こうとして、ちょーりっぱさんにこっぴどく叱られたことがある。
決してカバではないが、バカかも知れないと、オレのおじさんの甥っ子が言っていた。
ちょーりっぱさん(CV:花澤香菜)
前半の「野比のび太天才説」の話が長すぎて、すっかりお腹が空いたので、こっそりおウチに帰ろうとしたが、パターンが後からついてきて、逃げ切ることができなかった。そのことがとても悔しい。
追いついてきたパターンから、白い貝殻の小さなイヤリングを落としていたと告げられるも、それは、ちょーりっぱさんのモノでもなんでもないので、他人のモノを勝手に拾って持ってくるなと、こっぴどく叱り飛ばしてやった。
厳しい中にも、厳しさと厳しさを併せ持つ、結局のところ厳しいだけのライブラリアン。ついでに、最近は家計も厳しいらしい。
注:CVはただの幻想です。
7. 前半のおさらい
簡単にまとめると、小学4年生レベルのテストで、四回連続で0点をとるためには、むしろ四回連続で100点をとることができるくらいの学力が必要なんじゃないのっていうのが、前半の「野比のび太天才説」の主な内容なのだったのだった。
8. 本題
じゃあ後半いってみよー!!
おー!!
前半の「野比のび太天才説」でも、ちょっと話したけど、もしも現代にタイムマシンがあったら、ちょーりっぱさんだったらどうする?
それって意外と難しい質問だよね。
まあ、気楽に考えてよ。
そうねえ、やっぱり、自分の過去とか未来を見に行っちゃうかもね。
じゃあ、最初に行くとしたら、過去と未来のどっち?
未来がどうなってるかってのは、すごく気になるけど、未来の自分を見るのはちょっとドキドキよね。しわとか白髪が増えてるのは見たくないし。
薄毛の可能性もあるしね。
ないわよ。
ごめんなさい。
もしも過去に行って、過去の出来事を変えちゃって、タイムパラドックスとかになるのも嫌だから、とりあえずは未来に行くかしらね。
なるほど。
ちょっと先の未来を見て、何が流行ってるとか、何が起こったかとかを先に知ってるって、おもしろそうじゃん。
たしかにさあ、昨年の今頃って、新型コロナウイルス感染症で、世の中がこんなに変化するなんて、思ってもみなかったもんね(※ちなみに、この記事は、2020年11月22日に書いています)。
あとさあ、「バック・トゥ・ザ・フューチャー Part II」でもあったけど、未来に行って、競馬とか競輪とか競艇とかの結果を見て帰って来てきたら、大金持ちになれるかもね。
お金持ちになったら、エビフライおごってね。
エビフライでも、フビライハンでも、何でもおごってあげるわよ。
ありがとう。
ちなみに、パターンだったらどっち行く?
僕だったら過去に行くなあ。
過去に行って何するの?
まずは、3世紀前半の日本に行って、邪馬台国の場所を確認するんだあ。
ロマンね。
ついでに、栗拾いもするんだあ。
マロンね。
平安時代にも行くでおじゃる。
麻呂(まろ)ね。
ちょっとお高い、卵白と砂糖とアーモンドを使ったフランスの焼き菓子。
マカロンね。
頭痛がするなあ。
たぶん、バファリンね。(・・・ネタが尽きたな・・・)
バファリンの半分は「やさしさ」で出来てるんだよ。
「やさしさ」なんていらないから、値段を半分にしなさいよ。
ライオンさんに言ってみたら。
バファリンってライオンの製品なの?
そうだよ。
で、邪馬台国に行ったら、何かするの?
なんとかして、卑弥呼の写真とか動画を撮って帰りたいよね。
歴史の教科書が変わるね。
「魏志倭人伝」によると、王様になってからは、卑弥呼を見ることができる人はかなり少なかったみたいだから、ちょっと難しいかも知れないけど。なんとか撮影したいよね。
インスタにあげてね。
実は、単行本の41巻の「未来図書券」(藤子・F・不二雄. ドラえもん. vol.41, 1990, p.36.)っていう話にも、2008年のタイムマシンの発明によって、邪馬台国論争に決着がついたっていうシーンがあるんだよね。
邪馬台国論争の完全決着はムネアツね。
過去に行けたら、卑弥呼だけじゃなくて、歴史上のいろんな人たちの写真を撮って帰りたいな。
歴史上の人物の肖像画は、誰が誰だとか、誰は誰じゃなかったとか、いろいろと議論があるもんね。
そうなんだよ。聖徳太子とか、源頼朝とか、足利尊氏とか、西郷隆盛とか、みんなの写真を撮って帰りたいね。
でも、西郷さんは写真も銅像もあるじゃない。
西郷さんは大の写真嫌いで、あれは親族の写真をうまく合成したものなんだって。あと、上野の西郷さんの銅像を見た奥さんが「ぜんぜん似てない」って言ったらしいよ。ついでに言うと、隆盛っていう名前も本当は違ってて、お父さんの名前だったんだよ。
そうなんだ。
ちょーりっぱさんは、過去には行ってみたくない?
そりゃあ過去にも行ってみたいわよ。でも、やっぱタイムパラドックスがこわいよね。
なにかの拍子で過去を変えちゃったらタイヘンだもんね。
バタフライ・エフェクトで、ものすごい変化になっちゃうかも知れないもんね。
そうだね。ちょーりっぱさんがヤンキーになってるかも。
パターンがめちゃくちゃカッコよくなってるかもよ。
それはいいなあ。
でもまあ、小さい頃の自分とか、懐かしい人たちとか、当時の街の風景とか、いろいろと見てみたいねえ。
そういえば、単行本の4巻にも、のび太がおばあちゃんに会いに過去に行く話があるね。
あれは感動よね。
小学4年生になったのび太が、ランドセルしょって未来からきたって言ったら、のび太のおばあちゃんは”やっぱりそうかい”(藤子・F・不二雄. ドラえもん. vol.4, 1974, p.191.)って言って、のび太の存在をすぐに受け入れたんだよね。
あれはまあ、理屈を超えた愛ってヤツなんじゃないのかしら。
ちなみに、過去に戻って、これだけはやってみたいなあってことはある?
う~ん、ナニをやるっていうよりも、当時の日常生活を過ごしてみたいなあ。
なるほど~。
朝起きて、学校行って、部活して、買い食いして、家帰って、家族とごはん食べて、みたいな感じ。
それは、僕もすごい分かるなあ。
なんでもなかったはずの日常が、何年も経つと、素晴らしい想い出になったりするじゃない。
そうだよねえ。
ところで「野比のび太天才説」はどこ行ったのよ?
そうじゃった、そうじゃった。
まだまだ先があるって言ってたよね。
うん。ちょーりっぱさんは「野比のび太天才説」どう思った。
う~ん。
う~んって感じ?
要するに、のび太くんは(1)実は学力が高くて、(2)反射神経も良くて、(3)度胸もあって、(4)芸術的センスもあって、(5)人間性も優れているから、天才じゃないかってことだったわよね。
うん。
その中でも、学力っていうか、テストの点数だけにしぼって考えると、のび太くんが天才じゃないかって理由は、(1)むずかしい算数のテストで100点をとったってことと、(2)四回連続で0点をとれたってことなわけよね。
そうだね。
のび太くんって、射撃とかあやとりなんかについては、マンガの中で、つねに優れた才能っていうか、桁違いの才能を発揮するじゃない?
うん。
でもさあ、テストの点数とか学力とかに関しては、マンガの中でも、一貫してないっていうか、振れ幅がすごいじゃない。100点もとるけど、マジでアホなんじゃないかってこともよくあるし。
うんうん。
射撃やあやとりについてはブレないんだけど、学力はブレブレって感じなんだよね。
たしかに、ブレブレだね。
だからさあ、その100点とか0点っていうような極端な点数をとったテスト以外で、のび太くんってどのくらいの成績なのかを知っておきたいかも。
なるほど。
なんか0点ばっかりとってるイメージあるけど。
だったら、のび太のテストの得点に対する、ママの反応を見れば、のび太が普段どのくらいの点数をとってるのかの手がかりになるかも知れない。
それはいいかもね。
まず、のび太が100点をとったときだけど、のび太のママは、答案をみるなりジワ~って涙をながして、”がくぶちにいれてかざりましょう”(藤子・F・不二雄. ドラえもん. 小学館. vol.25, 1982, p.77.)って言って、ものすごく感激してるんだよね。
よっぽどうれしかったんだね。
あと、65点をとったときも、のび太のママは”のびちゃんがんばったわね”(藤子・F・不二雄. ドラえもん. 小学館. vol.37, 1986, p.149.)って、しみじみとほめてくれるんだよね。
ほうほう。
で、30点とったときも”まあ、三十点もとったの。よかったわね!!”(藤子・F・不二雄. ドラえもん. 小学館. vol.20, 1981, p.121)って、ほめてくれるんだよね。
じゃあ、ふだんは30点よりも低いのかな?
でも、単行本の44巻では、ボーナスが出て機嫌が良くて、のび太が0点とっても、気にもとめなかったこともあるから、その日の機嫌とかで、ママの態度にも波がありそうなんだよね。
一概には言えないってことね。
そう。ほかにも、のび太自身のリアクションもあって。単行本の28巻で、出木杉くんやスネ夫が100点だったテストで、のび太は10点とって”思ったよりよかった。”(藤子・F・不二雄. ドラえもん. vol.28, 1983.)って、言って、ホッとしてるシーンもあるんだよね。
そもそも何点だと思ってたんだろう?
なんか0点を回避できた安ど感だったのかも。
テストによって難易度が違うから、いつも10点とれればいいって訳でもないのかもしれないけど、出木杉くんとスネ夫くんは100点だったんなら、そんなに難しそうでもないけどねえ。
うん。で、次は、実際の点数がどうたったかってことなんだけど。前半の「野比のび太天才説」でも紹介したけど、のび太がどのくらいの頻度で0点をとってるかってことは分かってるんだよ。
そうだったね。
まず、単行本の37巻では、ドラえもんが、”今までは、五回に一回ほどのわりで0点とってたのに、たてつづけに四回0点とくればね・・・”(藤子・F・不二雄. ドラえもん. 小学館. vol.37, 1986, p.144.)って言ってる。
うん。
で、42巻では、のび太自身が、”これまでぼくは、五回に一回のわりあいで0点をとってたんだよ。こんどは、九回つづけて点をとったんだよ。わずかだけど。十回めの0点はひさしぶりなんだぞ。”(藤子・F・不二雄. ドラえもん. 小学館. vol.42, 1991, p.67.)って言って、ドラえもんに自慢してる。
ふんふん。
この点については、ドラえもんものび太も同じことを言っているので、のび太が、おおよそ、五回に一回のペースで0点を取ってるってことは、まあ事実として認めていいと思うんだよね。
つまり、五回に一回だから、20%の確率で0点をとってるってことね。
うん。でも、これはあくまでも、平均的な値であって、4回連続で0点をとることもあれば、9回連続で0点をとらないことだってあるってことね。
オッケー。
で次に、のび太がテストでとっていた具体的な点数なんだけど・・・
うんうん。
これについては、やっぱり前半の「野比のび太天才説」でも紹介した、ドラえもん研究サイト 「のびダス」の「のび太のテスト」 得点完全リストってのを参考にさせていただきながら、単行本の方でも確認したら、以下のような感じになったんだよね。
- 150点:ドラえもんの道具「サカユメン」による夢の中の出来事
- 100点:実力
- 100点:ドラえもんの道具「能力セット」のおかげ
- 95点:実力(あてずっぽう)
- 65点:実力
- 65点:ドラえもんの道具「時門」で時の流れをゆるやかにして勉強したおかげ
- 30点:ドラえもんの道具「アヤカリン」で他人に幸福を分けてもらったおかげ
- 10点:実力
- 0点:23回
すごい成績ね。
夢だとか、明らかな不正行為とかを除いて計算すると、0点以外が6回で、0点が少なくとも23回だから、0点以外の確率は約21%(=6/29)、0点の確率が約79%(=23/29)ってことになるね。
ふんふん。
で、さっき確認した「五回に一回0点をとる」っていう場合、0点以外が80%(=4/5)で、0点が20%(=1/5)だから。ちょうど真逆の確率になってるんだよ。
なるほど。マンガでは、0点をとる場面が強調されやすいってことね。
そうそう。のび太がよく0点をとってることは事実なんだけど、マンガの中では、実際以上の確率で0点をとってることが多いから、読者も僕たちも、のび太は0点ばっかり取ってるっていう印象を持っちゃうんだろうね。
ゼッタイ私もそれだったわ。
でもまあ、五回に一回は0点をとって、30点とっただけでママが喜んでくれて、10点とってホッとしているんだから、普段の成績はあまりよくないだろうね。
頭がいいとはいえないね。
そうだねえ。
やっぱり、のび太くんは頭がわるくて、100点とったのが、単なる、まぐれだったってことなんじゃないかしら。
たしかに、射撃やあやとりの能力と違って、学力は振れ幅が大きいんだよね。
そうそう。
そう考えると、未来の道具を使いこなせる能力については、ちょっとビミョーで。のび太は、使い方を理解して使いこなすのは早くて、それ自体はすごいんだけど。やり過ぎて失敗したりもするから、かならずしも完璧とはいえないんだよね。
射撃やあやとりほどのレベルではないって感じだね。
そうそう。あとは、どうして、頭がいいのに、わざわざ四回連続で0点をとるのかってことだよね。
そうなのよ、それなのよ。100点とれるから0点とるじゃなくって、100点とれるなら100点とるのが普通じゃない。ママにだってこっぴどくしかられるし。
のび太にとって、ママにしかられるのはメチャクチャ嫌なことだろうから避けたいはずだよね。逆に、ママにほめられるとすごく嬉しいよね。誰だってそうだと思うけど。
昔だったらわからないけど、今だったら、通知表の内容をすごく気にするから、わざわざ0点とるなんて、狂気の沙汰としか思えないわよ。
たしかに、そこがきちんと説明できないと「野比のび太天才説」は成立しにくいね。
そうなのよ。
そういえば、前半の「野比のび太天才説」で、のび太がモルグ・シティで西部のならず者たちを銃撃戦でやっつけた話をしたとき、ちょーりっぱさんは”本当に小学4年生なのかって感じね”って言ってたよね。
うん、だってそうじゃない。ちょっと、すごすぎるわよ。
でも、それがカギなのかも知れない。
どういうこと?
さっきも言ったけど、ドラえもんの世界では、2008年にタイムマシンが発明されたことになってるのね。
現実には、見事に大ハズレね。
のび太は1970年当時10歳だから、2008年だったら48歳になるよね。
うんうん。
もちろん、2008年以前から、のび太は何度もタイムマシンに乗ったことがあるけど、実際にタイムマシンが発明されたら、大人になったのび太はどこに行くんだろう?
やっぱり、ドラえもんのところじゃない?
ドラえもんのところにも行っただろうし、他にもいろいろと行ったかもしれない。
でしょうね。
さっき、ちょーりっぱさんは、タイムマシンがあったら、”当時の日常生活を過ごしてみたいなあ”って言ってたよね。
うん。
大人になったのび太だって、そう考えたかも知れないじゃない。
それはあるでしょうね。
ところで、「入れかえロープ」っていう道具を知ってる?
う~ん、知らないけど、なんとなく名前から推測できそう。
うん。入れかえロープの両端を握った人間の外見が入れ替わるっていう道具なんだよね。
入れ替わるのは、内面じゃなくって外見の方なのね。
そうそう。単行本の15巻で初登場するんだけど、その後も二、三回登場してるから、なかなかの人気道具なんだよ。
へえ。
僕はまだ観てないけど、50周年記念作品の映画「STAND BY ME ドラえもん 2」でも登場するらしいよ。
そうなんだ。
で、この入れかわりロープを使って、大人になったのび太が、子どもの頃ののび太と入れ替わって、現代で小学4年生として生活してても、本当の10歳ののび太とは、誰も見分けがつかないよね。
そうね。
それでも、中身はやっぱり大人なんだよね。
そりゃそうでしょ。
知力も精神力も。
うん。
大人だったら、小学4年生のテストで100点をとることも、四回連続で0点をとることも簡単にできちゃう。
えっ?
西部での、ならず者たちとの銃撃戦だって、小学4年生の男の子がやったと考えるよりは、子どもの頃から射撃のうまかった大人の男性がやったと考える方が無理がないよね。
・・・・・・・・・・・・。
あと、映画原作の「大長編ドラえもん」の中で、たまに、のび太が大人びた言動をすることがあるじゃない。一皮も二皮も向けて、急に成長したような。
うん。
ほとんどの人たちは、あれは映画だから特別なんだって考えているかも知れないけど、それじゃあ一貫した理屈にはならない。もしかしたら、「大長編ドラえもん」のうち何回かは、10歳じゃなくて、大人になったのび太が10歳のふりをしているだけなのかも知れないよ。
ええっ!!
さっき、ちょーりっぱさんは、”射撃やあやとりについてはブレないんだけど、学力はブレブレって感じなんだよね”って言ってたよね。
うん。
本当は、ぜんぜんブレてないのかも知れないよ。
どういう意味?
少年の頃ののび太は、やっぱり、われわれの今までのイメージ通りの子どもだったんじゃないかってこと。
ほう。
で、振れ幅の大きい、頭がいいときののび太は、実は、昔をなつかしんで、タイムマシンで過去に戻ってきた大人になったのび太が、少年のふりをしているだけなのかも知れないっていうのが、僕の仮説なんだよね。
つまり、「野比のび太天才説」の正体は、大人になったのび太が子どものふりをしていたってこと?
そう考えると、少年のび太が天才だったっていう仮説よりも、いろいろとうまく説明がつくんだよ。ふだんはダメダメなのび太が、なんで、たまにすごい能力を発揮するのかについて。
たしかに。
実は、「入れかえロープ」以外にも、「タイムふろしき」でもいけるかもって考えたんだけど、それだと、見た目だけじゃなくて、知力とか精神力とかも子どもに戻っちゃうから、うまくいかないんだよね。
そうなんだ。
あとさあ、たとえば、単行本の24巻で、のび太が、”声というのはつまり音だ。音は一秒間に空気中を三百…何十メートルだったか走るんだ”(藤子・F・不二雄. ドラえもん. vol.24, 1985, p.8.)って言ってるシーンがあるんだけど。音速については中学校で習うことだし、少なくとも、テストで五回に一回0点をとっている小学4年生のセリフとしては、ちょっと不自然じゃあないかな。
たしかに、音が一秒間にどのくらい進むかなんて、パッとは出てこないわね。
でも、大人になったのび太が、入れ替わっていたときのセリフだと考えると、とくに不自然でもなんでもないんだよ。
じゃあ、テストの点だけじゃなくて、未来の道具をすぐに使いこなせるようになるっていうのは、どうやって説明するの? ドラえもんの連載中、毎回、大人になったのび太くんが、小学生のふりをして、使ってたってこと?
それはやっぱり、ホンモノの10歳ののび太が使いこなしていただんじゃないかな。
でも、それが「野比のび太天才説」の根拠の一つだったんだから、それだと話が矛盾しないかしら?
「ドラえもん」っていう話自体が、未来からきた大人になったのび太が、入れえロープを使って少年の姿になって、自分の少年時代をもう一度過ごしていくっていうストーリーだっていうのは興味深いけど、それはさすがに無理があるんじゃないかな。入れ替わるのは、あくまでも、たまにだと思うよ。
どうして?
うん。一つは、「ドラえもん」のストーリーの中で、のび太が天才じゃないかと思えるような優れた言動をすることは珍しくて、基本的には、頭がわるい描写が多いでしょ。
そうね。
たまに入れ替わっているだけなんだったら、その珍しい行動のときだけ大人になったのび太と入れ替わっているってことで説明できそうだけど、常に入れ替わっているんだとしたら、のび太の頭のわるい行動や子どもっぽい言動のすべてについて、なぜ、大人ののび太がそんな行動をとったのか説明できないといけないじゃない。
それは難しそうね。
あと、ずっと入れ替わっているとしたら、逆に、その間ずっと、ホンモノの10歳の方ののび太はどこに行って、何をしていればいいのかってことが問題になるんだよ。だって、ずっと入れ替わってたら、本来、義務教育の小学校に行くべきのび太が学校に行けないじゃない。
ああ、そうか。
ドラえもんや大人になったのび太が、そんなことさせる訳がないから、入れ替わるのは、あくまでも、たまにだと思うんだよね。
なるほど。
あと、道具をすぐに使いこなせるのは、大人の方じゃなくて、子どもののび太でないとおかしい理由があるんだよ。
えっ、そうなの?
入れかえロープを使うんだから、その時は、やっぱり、お互いの協力が必要じゃない?
そりゃそうね。
じゃあ、大人になったのび太(未来のび太)が、子どものふりをして、小学校に行ってしまったとき、少年の方ののび太(過去のび太)はどこにいると思う?
まあ、どこに行ってもいいんじゃない?
おそらく、「未来のび太」と「過去のび太」は、時空間的にも、入れ替わってるんだと思うんだよね。二人が同じ時空間に存在しないっていうのが、科学的には一番安全じゃない。
なるほど。未来のび太が、本来いた時代に行ってるってことね。
うん。それでもいいんだけど、未来のび太と過去のび太の二人が、同じ時空間に存在しなければいいんだから、もうちょっと先の、ドラえもんやセワシくんのいる22世紀の未来に行っているかも知れない。
つまり、過去のび太は、未来の世界で大人のふりをしてるってこと?
そうじゃないかなあ。
でも、大人が子どものふりをするのは簡単だけど、子どもが大人のふりをするのは、相当に難しいんじゃない?
うん、さすがに、仕事とかの役割を入れ替えるのは無理があるし、その必要はなくて、単に、大人の姿になって、未来の世界をいろいろと楽しんでいればいいんじゃない。
じゃあ、未来のび太の仕事やなんかはどうするの?
入れ替わるのは、未来のび太の仕事がない休日でもいいし、タイムマシンがあるんだから、出発した時間と同じ時間に戻ってきたっていいんだよ。そこらへんはまあなんとでもなる。
なるほど。
あと、ちょっと過去や未来で過ごす時間が長くなり過ぎたら、タイムふろしきを使って、その分、若返ればいいっていう裏技もあるよね。
ほうほう。
あと、大人になった未来のび太が、過去をなつかしむだけじゃなくって、少年の方の過去のび太にも、入れ替わることで、何かイイことがなくちゃいけないと思うんだよね。
そうね。
さっきの話じゃないけど、未来の世界がどうなってるのかを、いろいろと見てまわるのって、やっぱり楽しいと思うんだよね。昔の万博みたいな感じでさ。
なるほど。
小学生にとっては、最高の社会勉強になるんじゃないかな。
だから、ドラえもんも、たまになら小学校を休んで、入れ替わることを許してくれてるのかもね。
で、それこそが、頭がよくないはずの10歳ののび太(過去のび太)が、未来の道具を簡単に使いこなせる理由でもあるんだよ。
どういうこと?
つまりね。のび太は、大人になった自分自身と入れ替わることで、未来の世界に行って、しばらく過ごしている訳だよね。
そうね。
そしたら、当然ながら、しょっちゅう、未来の道具を触っているはずなんだよ。みらいデパートとかに行ってるかもしれない。
ああ、そうか。
異なる時代の道具を使うことは難しいかも知れないけど、のび太は何度も未来の道具を使うことで、未来の世界の道具の使い方に慣れてしまったんじゃないかな。
でも、初めて使う道具もあるでしょう?
もちろんそうだけど、未来の道具を使ったことがあるのと、ないのとでは大違いだし、似たような道具を使ったことがあるのかも知れない。そもそも、のび太の手先の器用さは、あやとりや射撃でも証明済みじゃない。
なるほど。
あと、ちょーりっぱさんが言ってくれた、未来の世界のユニバーサル・デザインの進展っていう可能性もあるかも知れないしね。
そうねえ。
だから、一度使って見せられただけで、あっさり使えるようになっちゃうんだけど、のび太自身は10歳の少年でしかないから、使い方が適切でなかったり、やり過ぎたりして失敗するんだよ。
そういうことね。
もしも、毎回、道具を使っているのが、大人になった未来のび太なら、そうはならないでしょ。適切な使い方をして、やり過ぎず、ハプニングも起こらず、「ドラえもん」のマンガも、ずいぶんとつまらないものになっちゃうかもね。
なるほど。
だから、やっぱり、道具を使いこなすのは、少年の方の過去のび太じゃなくちゃおかしいんだよ。
なるほどねえ。
あと、「野比のび太天才説」については、「ドラえもん」の作中に、いくつかの注目すべき反証あるんだよね。
そうなの?
一つは、単行本の15巻で、「人生やりなおし機」っていう道具を使って、小学四年生ののび太が、知力も体力もそのままで、4歳児になるっていう話があるんだけど・・・
ふんふん。
そのとき、のび太が天才4歳児だってことで、天才教育研究会ってところの人がテストをしたら、体力も知能も小学2年生程度だって判定だったんだよ(藤子・F・不二雄. ドラえもん. vol.15, 1978.)。
なるほど。
まあ、当時のテストの信頼性はともかくとして、少なくとも、その専門家は、実際は小学4年生ののび太を、小学2年生並みの知能の「低さ」だって判定したんだよね。これが第一の反証。
要するに、バカってことね。
うん。あと、単行本の8巻で、どんなものでも正確に数値化してくれる「正かくグラフ」っていう未来の道具を使って、みんなの頭の良さをグラフ化するって話があるんだけど・・・
ふんふん。
しずかちゃんが12、スネ夫が7、ジャイアンが4、のび太が2っていう数値だったんだよね(藤子・F・不二雄. ドラえもん. vol.8, 1975.)。
のび太くんはしずかちゃんの6分の1なのね。悲しいわ。
つまり、現代の知能テストよりは信頼性の高そうな、未来の道具を使っても、のび太は四人の中で一番、頭がわるいって判定されてるんだよ。これが二番目の反証。
ふ~ん。
で、「野比のび太天才説」の最大の反証は、もしも、のび太が天才なんだったら、そもそも、セワシくんとドラえもんは、未来からのび太のところになんか行ってないんだよ。
たしかに。
のび太がダメダメな子どもだったから、未来から、わざわざ子守りロボットのドラえもんを送り込む必要があったってことでしょ。
うん。
のび太が天才なんだったら、ドラえもんを送り込む必要なんてないから、「ドラえもん」っていうマンガは、そもそも始まっていないってことになるんだよ。
なるほどねえ。たしかに、最大の反証ね。
でしょ。
すっかり「野比のび太天才説」を信じちゃうところだったわよ。
「野比のび太天才説」よりも「野比のび太、たまに大人になった自分自身と入れ替わってる説」の方が、今のところ、可能性が高いと思うんだよね。
最初は熱心に主張してた「野比のび太天才説」を否定する訳ね。
でも、のび太の学力の振れ幅の大きさに気づかないと、ここまでたどり着かないんだから、「野比のび太天才説」は、最初に検討して、その限界を見極めるべき仮説だったんだよ。
光の「エーテル説」みたいなものかしら?
そんな感じ。これが、僕が最初に言った、大人になって改めて「ドラえもん」を読むことの楽しさなんだよね。
たしかに、大人の視点だと、いろいろと楽しいことが見えてくるね。
でも、突き詰めて考え過ぎると、矛盾だらけになっちゃうんだけどね。
そうなのね。
あと、ちょーりっぱさん、一つ忘れものをしてるよ。
なによ?
未来のび太が、過去のび太と入れ替わったときに、何で、わざわざ四回連続で0点をとったりしたのかってことだよ。
ああ、そうよね。たしかにそうよ。なんでそんな無茶苦茶なことするのよ?
実は、のび太が天才だったとしても、わざと0点ばっかり取るようなヤバいヤツだったら、やっぱり、セワシくんはドラえもんと過去に来ていたかも知れないよね。
そうね。
たとえばさあ、僕たちって、昔のことなんて、ほとんど忘れちゃってるじゃない。
人間は忘れられる生き物なのよ。
でもさあ、さすがに特別なことは覚えているじゃない。
まあね。
特別に楽しかったこととか、特別に悲しかったこととか、特別につらかったことなんていうのは、やっぱり覚えてるもんじゃない。
そうね。
前半の「野比のび太天才説」で、四回連続で0点をとって、ママの逆鱗に触れたって話をしたとき、ちょーりっぱさんは”トラウマになりそう”って言ってたよね。
うん。
だから、いくら大人になったのび太でも、さすがに、小学校4年生のとき、四回も連続で0点をとったときのことは、はっきりと覚えてると思うんだよね。
まあ、忘れられない思い出でしょうね。
じゃあ、大人になった未来のび太が、過去に戻って、10歳のふりをして小学校生活を過ごしていたとき、あの四回連続0点をとったときのテストが始まったとしたら、どうすると思う?
どうするって・・・せっかく入れ替わってるんだし、今度は頑張って、100点とっちゃうかも。
いや、そんなことをしたら、過去を変えることになってしまって、タイムパラドックスが起きちゃうよ。
あ、そうだ。
ちょーりっぱさんもさっき言ってたじゃない。
そうだったね。
だから、大人になった未来のび太は、それを思い出して、わざと四回連続で0点をとったんだよ。
なるほど。
もちろん、大人だから100点をとることも可能だったけど、過去の出来事を変えないために、敢えて0点をとるしかなかったんだよ。過去の自分がママにしかられることも覚悟の上で。
それが動かすことのできない歴史的事実だから、仕方ないってことか。
過去は変えてはいけないってことに、きちんと気づいて行動しているっていう点でも、タイムリープに慣れている、大人になったのび太の仕業って気がするんだよね。
それもそうね。
逆にいうと、100点をとったときもそうなんだよ。
たしかに、五回に一回0点をとってるのび太くんが、100点をとることなんて、それこそ、めったにないから記憶に残ってるってことね。
大人になった未来のび太は、このときは、思いっきり素晴らしい100点満点の答案を作成することができはたずだよ。
なるほど。
前半の「野比のび太天才説」でも言ったけど、100点をとったとき、のび太は、”ええっ!? ユメじゃないか・・・・・・。何べんみても百点だ”(藤子・F・不二雄. ドラえもん. vol.25, 1982, p.69.)って言って、先生のところに走って確認しに行っているんだよね。
そうだったね。
あのとき、ちょーりっぱさんは”ちゃんと勉強したんだから、そんなに疑うことないのにね”って言ってたけど、まさにそうなんだよ。
どういうこと?
自分できちんと作成したテストの答案だったら、そんなに何度も見直す必要もないし、先生に確認をとりに行く必要もないじゃない。単に、喜べばいいだけでしょ?
うん。
のび太にとって100点をとるってことは、すごく珍しいことだから、まずは驚いただろうってことは想像に難くないんだけど、その後、「喜び」よりも「疑い」の方が先にくるっていうのは、ちょっと不自然なリアクションじゃないかな。
たしかに。
つまり、テストを受けたときは、大人が子どもの姿になった「未来のび太」で、テストを返してもらったときは、本当の10歳の「過去のび太」だったんじゃないかと思うんだよ。
なるほど。
だとすると、自分で解いたテストじゃないから、100点をとったっていう現実を、ぜんぜん信じられなくて、まずは疑ったってのは自然な反応になるんだよ。
うんうん。
ある意味では、入れ替わってくれている子ども時代ののび太に対する、大人になったのび太からのサプライズ・プレゼントなのかもね。
そうするしかなかったプレゼントね。
タイムマシンの存在する世界で、ふだんは五回に一回0点をとっているような学力の低い子が、それなりに難しい算数の計算問題で、完璧な答案を作成して100点をとったことについての、いちばん辻褄のあう仮説ってこれじゃないかなって思うんだよね。
う~ん、なんとなく納得してしまった。
でしょ。
でもさあ、少年の頃ののび太の能力では、四回連続で0点をとることも、あの算数のテストで100点をとることも出来なかった訳じゃない?
うん。
で、大人になったのび太は、少年の頃の経験を思い出して、その事実を変えないようにするために、わざと四回連続0点をとったり、算数のテストで100点をとったりしたんだよね?
そうだね。
じゃあ、一番最初に四回連続で0点をとったり、算数のテストで100点をとったのは誰なんだろう?
なるほど。
よく分からないなあ。
それは「ライオン仮面のパラドックス」っていって、「ドラえもん」の中で、のび太自身が悩んだ問題なんだよね。
そうなんだ。
単行本の3巻の「あやうし! ライオン仮面」っていう話の中で、「ライオン仮面」っていうマンガを連載しているフニャコフニャ夫先生が、翌月の展開を思いつかないで困っているところに、タイムマシンで来月の連載を見てきたドラえもんが、作者のフニャコ先生自身に、つづきの話を教えてあげるっていうストーリーなんだよ。(藤子・F・不二雄. ドラえもん. vol.3, 1974, p.5-17)
ほうほう。
そうすると、そもそも一番最初に「ライオン仮面」のつづきの話を考えたのは誰なんだっていう問題にぶち当たるんだよね。
さっきの話と似てるね。
そうなんだよ。で、のび太自身がそのこと気づいて悩んじゃうっていうのが、この回のオチなんだよね。
ふ~ん。
典型的なタイムパラドックスだね。
なるほどね。
ちなみに、大人になったのび太が、子どもの頃ののび太と入れ替わるっていう仮説を裏付けるような話を、藤子・F・不二雄先生自身も描いているんだよ。
そうなんだ。
小学館のてんとう虫コミックスの「ドラえもん」は1巻~45巻で全45巻なんだけど、のちに、0巻っていうのが発売されてるから、それを入れれば、全46巻になるのね。
うん。
でも、すべての話が単行本化されている訳じゃなくて、45巻が出た後に、単行本未収録のうち、いくつかの作品が「ドラえもんプラス」として、2005年から刊行されてるんだよね。
へえ。
お恥ずかしながら、僕はそっちは読んだことなかったんだけど、こないだ、初めて読んだんだよ。
ほう。
そしたら、「ドラえもんプラス」の第五巻に「45年後……」っていう作品があって・・・
うんうん。
それがまさに、大人になった未来のび太と、少年時代の過去のび太が入れ替わるって話だったんだよ。
そうなんだ。
驚くほど似た話なんだよね。
どんな話なの?
45年後の55歳になったのび太が、10歳ののび太のいる時代にやってきて、入れかえロープを使って、二人が入れ替わるんだよ。
まんまね。
55歳ののび太は、10歳ののび太に対して、”遠い昔に読んだ本をもう一度よみ返してみたい・・・・・・、そんな気もちかな”(藤子・F・不二雄. ドラえもんプラス. vol.5, 2006, 186.)とかって言って、入れ替わってもらうんだよね。
それで未来のび太は、過去の世界を満喫するのね。
そうそう。
で、その時、過去のび太は未来に行ってるの?
いや、この時は、大人の姿になった過去のび太も、そのまま一緒に行動するんだけどね。
なるほど。
で、未来のび太は、いつも通りの「のび太的な生活」を過ごすんだけど、野球で負けても、ジャイアンに怒られても、少女時代のしずかちゃんに出会っても、ママにしかられても、とにかく懐かしくて、うれしくて仕方ないって感じなんだよね。
でしょうねえ。気持ちは分かる。
で、未来のび太とのお別れのとき、過去のび太は、”いつでもまたいらっしゃいよ”(藤子・F・不二雄. ドラえもんプラス. vol.5, 2006, 190.)って言うんだよね。
ほう。
そしてその約束が果たされたとしたら・・・
パターンの仮説通りになるって訳ね。
そう。つまり、「45年後……」での入れ替わりがきっかけになって、その後、たまに、未来のび太と過去のび太が入れ替わっていたんじゃないかって思うんだよね。
その可能性はあるね。
ちなみに、別れ際での、大人になった未来のび太のセリフが、ちょっと感動的なんだよね。
どういうの?
”きみはこれからも何度もつまずく。でもそのたびに立ち直る強さももってるんだよ”(藤子・F・不二雄. ドラえもんプラス. vol.5, 2006, 191.)って言って、過去の自分を励まして未来に帰っていくんだよ。
へえ。
つまり、のび太はけっして天才なんかじゃなくて、ダメダメな少年だったんだよ。「ドラえもん」っていうマンガは、そんなダメダメなのび太が、ドラえもんや仲間たちと一緒に、大きく成長していくんストーリーなんだと思うんだよね。
で、やがて、憧れのしずかちゃんに相応しい、大人の男性になっていくってことね。
うん。しかも、のび太は、少年の頃から、未来の道具を使ったり、未来の世界のことをいろいろと知っている訳だから、社会人になったとき、ものすごく有為な人材にになったと思うよ。それこそ天才レベルで。
たしかに、ちょっとずるいけど、未来のことを知ってるって、ものすごい特殊能力よね。
だから、小学生の頃からの伸びしろも、ずいぶんと大きかったと思うんだよ。
野比のび太の伸びしろって、「のび」が何回でてくるのって感じね。
以上が「野比のび太天才かと思ったら、実は、たまに大人になった自分自身と入れ替わってて、結局、最後には、本当の天才になったかも説」だよ。
なるほどね~。
ちなみに、藤子・F・不二雄先生は「みきおとミキオ」っていう、未来と現代に生きる瓜二つの少年同士が入れ替わる名作マンガも描いているんだよね。
そうなんだ。
過去と未来の異文化ギャップをあつかってて、すごくおもしろいよ。
パターンの話もおもしろかったよ。
こちらこそ、長い話に付き合ってくれてありがとう。
それにしても、「ドラえもん」だけじゃなくって、たくさんの素晴らしい作品を世に送りだしてくれた藤子・F・不二雄先生って本当にすごいマンガ家なんだね。
いやもう、それだけが言えればいいって感じ。
9. おわりに
気づいたら、この記事も既に1万6000字を超えてて、前半と後半をあわせたら、今回の記事は余裕で3万字を超えてるよ。
klisなら、卒論の2倍以上の分量だね。
内容はともかくとして、分量だけならね。
でも、対話形式の卒論があってもいいじゃない。
哲学とかなら全然ありだよね。
ありよりのあり。
ありをりはべりいまそがり。
ということで、今回もきっちりklisに触れることができたぞ。
第二のklis Advent Calendar 2020 もこの記事が最後の日だしね。
それじゃあ、そろそろおしまいにしようか。
そうだね。
それではみなさん、よいクリスマスと年末年始をお過ごしください。
2020年はいろいろとありましたが、2021年がみなさんにとって素晴らしい一年となりますように。
また、どこかでお会いしましょう。さようなら。
バイバイキーン!!
は~ひふ~へほ~!!
なんで最後の最後に「千と千尋」なのよっ!!
~おしまい~