神の味噌汁 仏のスープ

God only knows French soup

公立図書館におけるカズオ・イシグロの所蔵と単行本と文庫本の関係

 2017年のノーベル文学賞は、カズオ・イシグロさんが受賞されたとのことで*1、いつものように、日本の公立図書館におけるカズオ・イシグロさんの小説の所蔵調査を実施しました。

 調査方法の概要は以下の通りです。

  • 調査対象:カズオ・イシグロの小説(日本語訳本)9タイトル
  • 調査期間:2017年10月10日~16日
  • 調査手法:Calil図書館API*2を用いた自動収集

 調査結果は以下の通りでした。

タイトル(刊行年) 所蔵自治体数 所蔵図書館数
忘れられた巨人(2015) 986 1,848
わたしを離さないで(2006) 975 1,846
夜想曲集(2009) 895 1,617
わたしたちが孤児だったころ(2001) 888 1,465
充たされざる者〈下〉(1997) 747 1,111
充たされざる者〈上〉(1997) 747 1,109
日の名残り(1990) 665 962
遠い山なみの光(2001) 332 462
浮世の画家(1988) 325 385
女たちの遠い夏(1984 196 224

 基本的には、新しいほど所蔵数も多くなる傾向があります。

 ちなみに一位の「忘れられた巨人」の1,848館所蔵というのがどのくらい多いかピンとこないのですが、最近実施した所蔵調査で最も数値の近かったのは、にしのあきひろさんの「えんとつ町のプペル*3で、1,814館でした。

 さて、この所蔵調査中のことですが、第103回全国図書館大会の第21分科会「出版と図書館」*4の中で、文藝春秋の松井清人社長が「文庫は借りずに買って下さい」と主張されることになっていて、そのことが前日からマスコミで報道され、割と大きな話題になりました。

 この件については、当日のNHKのニュース記事で、ネット上の反応を以下のように紹介しています*5

大手出版社の社長が文庫本の売り上げ減少を理由に「図書館での文庫本の貸し出しをやめてほしい」と発言したことについて、ツイッター上には批判的な意見を中心にさまざまな声が寄せられています。

 また、Twitterで「あなたは図書館で文庫本貸出禁止に賛成?反対?」と二択で賛否を問うたアンケート*6でも、31,809票のうち、12%が賛成、88%が反対と回答していました。

 一般の賛同は得られなかったみたいです。

 また、10月15日には、キングコング西野亮廣さんが、自身のブログで以下のように述べ、全国5,500以上の図書館に「革命のファンファーレ 現代のお金と広告」を寄贈したそうです*7*8*9

ただ、僕は、
文藝春秋さんや新潮社さんとは考えが違って、図書館や「本の貸し出し」は、書籍の売り上げに圧倒的に貢献してくれていると考えています。
図書館で借りた本の感想をTwitterで呟く人もいれば、ブログで書評を書いて、最後にAmazonの購入ページを添付してくださる方もいます。
図書館の貸し出しは、書籍の売り上げに直結します。

果たしてどうなるでしょうか?*10

 ところで、今回の文庫本貸出禁止のお願いの件で、私がちょっと気になったのは、松井社長の以下のようなご意見です*11

確たるデータはありませんが,近年,文庫を積極
的に貸し出す図書館が増えています。それが文庫市
場低迷の原因などと言うつもりは毛頭ありませんが,
まったく無関係ではないだろう,少なからぬ影響が
あるのではないかと,私は考えています。

 ここで再び、カズオ・イシグロさんの小説の所蔵調査の結果なのですが、同一タイトルの単行本と文庫本の所蔵図書館数を比較すると以下のようになっています。

タイトル(単行書刊行年, 文庫本刊行年) 単行本所蔵館数 文庫本所蔵館数
忘れられた巨人(2015, 2017) 1,848 1
わたしを離さないで(2006, 2008) 1,846 1,011
夜想曲集(2009, 2011) 1,617 241
わたしたちが孤児だったころ(2001, 2006) 1,465 213
遠い山なみの光(-, 2001) - 462
充たされざる者〈下〉(1997, 2007) 1,111 167
充たされざる者〈上〉(1997, 2007) 1,109
日の名残り(1990, 2001) 962 543
浮世の画家(1988, 2006) 385 236
女たちの遠い夏(1984, 1994) 224 143

 「忘れられた巨人」の文庫版は、10月14日に刊行されたばかりなので所蔵は少なく、「わたしを離さないで」は、2016年に日本でテレビドラマ化されたため、その時点で入手可能性の高かった文庫本の所蔵も比較的多くなっていると推測されます。

 いずれのタイトルも文庫本よりも単行本の方が所蔵館数の多いことが分かると思います。

 公立図書館において、単行本が刊行された後に、普及版としての文庫本が発売されるというケースでは、さきに発売された単行本の方が所蔵されることが一般的で、敢えて、文庫本を収集する図書館は少数派だと言えます。

 公立図書館では、さまざまな利用者が本を読んだり借りたりすることから、携帯性に優れた文庫本よりも、耐久性に優れたハードカバーの方が選好されるという側面もあるかも知れません。

 たとえば、2015年に芥川賞を受賞された又吉直樹さんの「火花」(文藝春秋)について同様の調査をしたところ、以下のようになりました(調査日時:2017年10月16日)。

タイトル(単行書刊行年,文庫本刊行年) 単行本所蔵館数 文庫本所蔵館数
火花(2015,2017) 3,976 561

 また、最近、別件で調査した「はだしのゲン」だと所蔵館数は以下のようになります。

タイトル 愛蔵版(全10巻) ミックス(全10巻) 文庫版(全7巻)
はだしのゲン 1,793~1,897 763~800 155~161

 いずれも文庫本の所蔵館数は相対的に少ないことが分かります。

 こうした結果は、私の経験的な印象と一致しています。

 なんでこんな細かいことにこだわっているかというと、そもそも共有されている図書館像が異なっているというか、もしかして、誤った図書館像を想定して批判をしていらっしゃる可能性があるのではないかと考えたからです。

 たとえば、今から20年ほど前、やはり出版不況の文脈から、公立図書館の所蔵と貸出が批判されたことがありました。

 あの頃、出版社や作家の方々がおっしゃっていたベストセラー本を大量に購入し、大量に貸し出しているという公立図書館像というのがどうもピンと来なくて、一体、どういう図書館を想定していらっしゃるんだろうと思ったことがありました。

 で、2003年に実施された日本書籍出版協会日本図書館協会の共同調査*12の結果、ベストセラー偏重の貸出図書館というのは、ある種の思い込みに基づく誇張された図書館像だったということが判明したようで、公立図書館への批判は、公の場では、あまり聞かれなくなる訳ですが、

 あの調査結果って、普段から図書館を利用している者にとっては、とくに意外性のないものでした。

 逆に、あの結果を受けて、議論が沈静化するってことは、どんな過激な図書館を想像していたんだろうかと思ってしまう訳です。

 今回もそれにちょっとだけ似ているところがあって、図書館が文庫本を積極的に貸し出しているというと、ニュアンス次第では、まあそうかなあと思わなくもないのですが、やはり誤解を招きかねない表現で、文庫本を大量に購入して大量に貸し出しているという印象を持たれる方がいたとしたら、それは現在の公立図書館の実態とは乖離していると思います。

 上の調査結果を見ていただくと分かる通り、書店における文庫本の扱いと、公立図書館における文庫本の扱いは大きく異なっていて、書店に並んでいるような売れ筋の文庫本は、そもそも図書館に所蔵されること自体が相対的に少ないというのが実態だと言えるのではないでしょうか。